狩猟とは(第五話)

猟の世界今昔

私が三重県は菰野町田口新田の 故、舘剛氏が率いる猟隊へ加わる事と成ったのは 昭和49年度の

猟期でした 当時このグループは 親方の舘氏(通称タケさん)を始め 名の通った熟練者の集まりで 

タケさんの次男、美剛氏と共に猟場を走り回り 次々と起こる新たな体験に興奮が収まらなかった事を 

昨日の事のように想いだします 今回はその頃の話をチョットばかり。

親方のタケさんに命じられ 
待ち場へと立つ  短い時で
1時間 長くなると3〜4時間
寒風との我慢比べに成る。
瞬きも我慢して待つようにと
言い渡されることも有った、 
それ位動くなとの意味だった
のだろう。

その頃の服装では 現在の
化学素材を駆使した保温力
に優れた物など無く 汗に
ぐっしょりと湿った綿の下着は
忽ち冷たくなり 体の芯から
冷え込んで来る。

抑えきれない震えの中にも
自らの持ち場を死守するとの
硬い意思に立ち尽くす・・。
無線も実猟ではあまり一般的でなかった頃の話である  やがて終了の連絡となる笛が鳴る

この笛は空薬莢を使用します タケさんの使う村田銃真鍮ケースが最高でした 意思の表現としては
呼びかけや応答には普通に一回 ”ピー” と吹き 寄って来いでは二回 ”ピッピッ” で 三回吹くと
注意しろと成り  終了は一息長く ”ピー・・・”と吹きます。


続いて 寄って来いの笛に初めて緊張の時間から開放され ”ぶるっ” と一度身震いして辺りを
見渡すと 結構目印になる物体の多さに気づく 大きなモミの木だったり 岩だったり 滝だったり・・・・。
その中でも 特に古い炭焼き窯場跡が多く
実際狩山の名称には”○○の窯”とか
その当時 木を切り出し炭を焼く事で
生計を立て 山へ篭る人たちの名を付けた
狩山も沢山有るようだ。

偶然窯場が待ち場の脇に有ったと言う事ではなく
理論的にきちんと説明のつく事柄である事も
経験の浅い 当時の私には知る由も無かった

その待ち場の状態を眺める 余裕が出て来ると
そこが実に理にかなう位置であると知る事になる
尾根や谷の落合 山から山への渡りへと最適な
場所にそれはある 切り出した木材や 出来上がった
炭を運び出すのに有利な場所 そこに付けた作業道
それを利用しだす獣たち。

現在 初めての狩山で 待ち場を決めかねる時
無意識のうちに 窯跡を捜す自分に気がつきます。

                       OOZEKI